2007年3月 3日 (土)

桃の節句

070303hina 学生時代、建築・如是我聞というノートを書き記したきっかけは、
大江宏、倉田康夫という二人の先生との出会いだった。

大学4年になった春、僕は大学の図書館に入り浸っていた。
卒業に必要な単位は卒業制作以外はすべて取り終わっていた。
当時僕の通っていた大学ではそれが可能であった。
図書館に入り浸っていたのは理由がある。それまでの3年間の大学生活で、自分の知りたいことに答えうる教員はいないと思っていた。実に不遜な考えだが、その時は本気でそう思っていた。答えうる人がいない以上、自分で学ぶしかない。FLライトやル・コルビュジェなど偉大な先人たちを師とし、その作品集を中心にひたすら図面のトレースや本の筆写を決め込んでいた。

そんな僕を図書館で見かける度、ある助手の先生が何度も声をかけてくれた。大江先生と倉田先生の設計の授業に顔を出せと言うのだ。あまりに何度も言われるので、義理で1度くらいは顔を出しておこうと思った。

その一番最初の授業の時、授業内容を説明する倉田先生の手元に一片のメモがあった。目に飛び込んだのは、そのメモに書かれた
3つの言葉だった。

・抽出
・変容
・再生

なんのことかよくわからなかったが、「求めている手がかりがここにある」と直感的に思った。それから書き始めたノートに、建築・如是我聞という名前をつけたのは、それからしばらくしてからのことだった。

大江宏先生も倉田康男先生も今は故人となられた。
僕は、両先生のゼミにも属していなかったし、両先生に接することができたのも大学在学中のほんの1年に満たない期間のことで、
両先生の授業の末席を汚したという程度の学生でしかない。しかし、卒業から20年が過ぎた今も、僕の建築家としての歩みにとって、
両先生に出逢えたことはかけがえのないことだったと思っている。

今日、3月3日、桃の節句は、大江宏先生のご命日である。
忘れ得ぬ日である。

※すべてのコンテンツ(文章、画像等)の無断複製、無断使用を禁じます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月24日 (土)

22年前のノート

Nyoze001_5

バインダーで綴じた1冊のノートがある。
今から22年前、僕が大学で建築を学んでいた頃のノートだ。
表紙に「建築・如是我聞(けんちく・にょぜがもん)」と書いてある。
自分が書いたノートに、自分なりのタイトルを付け、
未だに自分の手元に置いている。

学生時代のノートを20年以上もたって手元に残しているなんて、
こんなノートは、後にも先にもこの1冊だけである。

ノートの紙もだいぶ傷んできた。
破れたページがどこかにいってしまわないうちに、
このノートのことを書いておきたいと思っていた。
そして書かずにいたこのノートの続きも
今日現在に至るまで22年分たまっている。
22年前はルーズリーフにペンで書いたが、
今度はブログという形式であらためて書いてみようと思う。

過去の記録ではなく、僕自身の明日への道標として。

                                                     ※文章、画像等すべての内容の無断複製、無断使用を禁じます

| | コメント (0) | トラックバック (0)