桃の節句
学生時代、建築・如是我聞というノートを書き記したきっかけは、
大江宏、倉田康夫という二人の先生との出会いだった。
大学4年になった春、僕は大学の図書館に入り浸っていた。
卒業に必要な単位は卒業制作以外はすべて取り終わっていた。
当時僕の通っていた大学ではそれが可能であった。
図書館に入り浸っていたのは理由がある。それまでの3年間の大学生活で、自分の知りたいことに答えうる教員はいないと思っていた。実に不遜な考えだが、その時は本気でそう思っていた。答えうる人がいない以上、自分で学ぶしかない。FLライトやル・コルビュジェなど偉大な先人たちを師とし、その作品集を中心にひたすら図面のトレースや本の筆写を決め込んでいた。
そんな僕を図書館で見かける度、ある助手の先生が何度も声をかけてくれた。大江先生と倉田先生の設計の授業に顔を出せと言うのだ。あまりに何度も言われるので、義理で1度くらいは顔を出しておこうと思った。
その一番最初の授業の時、授業内容を説明する倉田先生の手元に一片のメモがあった。目に飛び込んだのは、そのメモに書かれた
3つの言葉だった。
・抽出
・変容
・再生
なんのことかよくわからなかったが、「求めている手がかりがここにある」と直感的に思った。それから書き始めたノートに、建築・如是我聞という名前をつけたのは、それからしばらくしてからのことだった。
大江宏先生も倉田康男先生も今は故人となられた。
僕は、両先生のゼミにも属していなかったし、両先生に接することができたのも大学在学中のほんの1年に満たない期間のことで、
両先生の授業の末席を汚したという程度の学生でしかない。しかし、卒業から20年が過ぎた今も、僕の建築家としての歩みにとって、
両先生に出逢えたことはかけがえのないことだったと思っている。
今日、3月3日、桃の節句は、大江宏先生のご命日である。
忘れ得ぬ日である。
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